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東京家庭裁判所 平成2年(家)6992号 審判 1992年3月23日

申立人 磯部翔太

相手方 王徳宣

主文

相手方は申立人に対し、平成4年4月から、1か月金10万3000円の割合による金員を、毎月5日限り支払え。

理由

1  申立ての趣旨

申立人は、「相手方は申立人に対し、扶養料として毎月金20万円を支払え。」との旨の審判を求めた。

2  当裁判所の判断

一件記録によれば、次の事実が認められる。

(1)  相手方は、1927年(昭和2年)2月3日生まれの中国(台湾)人であるが、勉学のため昭和16年3月にその兄をたよって来日し、同年4月東京都内の中学校に入学し、同18年8月に疎開のため○○市内の中学校に転入学し、同20年3月に同中学を卒業した。

申立人の母磯部万智子(以下「母」という。)は、1924年(大正13年)6月26日生まれの日本人であり、申立人の祖母磯部ヨシエ(以下「祖母」という。)とともに○○県○○郡○○町所在の家屋(借家)に居住していた。

相手方は、○○市内の中学校に在学していた際、母の異父母西川清文(以下「伯父」という。)を介して母と知り合い、○○市に空襲のおそれがあったことなどから、一時、祖母及び母の居住する前記家屋に同居したこともあった。

相手方は、昭和20年4月に○○○大学専門部に入学して○○近辺に戻ったが、同22年に同大学を途中退学し、以後、その兄とともに、○○、△△などで、洋品店、旅館、中華料理店などを経営することとなった。

母は、昭和24年に、祖母、伯父とともに、相手方をたよって上京し、その当時相手方が居住していた○○のアパートに同居し、相手方と男女関係を結ぶに至り、相手方との間の子である申立人を懐胎したが、相手方の親族の反対があったことなどから相手方と婚姻することができなかった。

(2)  母は、○○県○○郡○○町の前記家屋に戻り、昭和25年7月1日に申立人を出産した。

母は、昭和25年7月13日に申立人の出生届出をし、相手方は、同日申立人を認知してその旨の届出をした。

なお、申立人は、昭和44年5月19日に日本国籍離脱の届出をした。

(3)  母は、申立人出産後の昭和25年ころ、○○家庭裁判所に調停の申立てをし、相手方から相当額の解決金を受領し、これ以後、母と相手方とは、接触することなく、音信不通の状態となった。

(4)  申立人は、出生後、○○県○○郡○○町の前記家屋において、祖母及び母とともに居住していたが、祖母が昭和55年2月に、母が昭和62年2月にそれぞれ死亡し(なお、母は昭和36年に精神分裂病により入院し、以後死亡まで入退院を繰り返した。)、現在では、上記家屋に1人で居住している。

申立人は、昭和44年3月に地元の高等学校を卒業したものの、知能指数が69であって軽度の知能障害があり、是非弁別、金銭出納管理、問題解決、対人関係処理などの社会的適応能力が一応あるとはいえるものの十分であるとはいえない。このため、申立人は、犯罪傾向のある者との接触などにより犯罪にまきこまれることもあり(昭和55年1月ころ銃砲刀剣類所持等取締法違反により罰金刑、同62年3月ころ同法違反により罰金刑、平成元年12月ころマリファナ所持が発覚)、収支のバランスを考えた計画的な経済生活を営むことが困難であり、問題場面に遭遇した際には粗暴にふるまうことや感情的に対応することもあり、継続的に勤務することが困難である。

申立人は、昭和58年5月に十二指腸潰瘍に罹患して入通院し、その後も、慢性肝炎、慢性胃炎、胃ポリープなどの内臓疾患を抱え、同60年ころからしばしば、高血圧症により1、2か月間程度の入院を繰り返し、平成元年から自律神経失調症、神経症により通院治療を受けている。また、申立人は、昭和61年3月23日、米軍人運転車両に同乗していた際、同車両の河原への転落事故により、入院3か月の重症を負い、現在も右眼視力減退(0.02)、右上肢知覚障害の後遺症を抱えている。

(5)  申立人は、高等学校卒業後の昭和44年4月ころから靴店に勤務し、その後間もなく同店を退職して玩具店に勤務し、同46年ころ同店を退職してモデルガン販売店に勤務し、同51年ころに同店を退職し、同52年ころに伯父などの援助によりモデルガン及び米軍人服の販売店を自営することとなったが、同53年ころ祖母が癌に罹患してこの世話のために廃業し、以後、自己又は祖母の預貯金を取り崩す生活をし、同55年2月に祖母が死亡してからは、警備員などのアルバイトをしたが、継続的な安定した職を得ることはできなかった。

申立人は、昭和58年5月に十二指腸潰瘍に罹患して入通院したことを契機に、同年11月から生活保護法による各種扶助を受けるようになり、前記転落事故補償金の受領により同年63年4月から同年7月までの間一時中断したものの、同63年8月から現在まで引き続いて同法による各種扶助を受けている。その受給時期は、毎月5日とされている。

申立人は、平成元年9月28日に本件調停の申立てをした。

(6)  相手方は、昭和28年ころ、○○○(国籍中国(台湾)、昭和6年6月7日生)と婚姻し、その間に、長女(昭和30年1月1日生)、二女(昭和35年3月26日生)をもうけた。

相手方は、戦後間もなく、その兄とともにはじめた中華料理店「○○飯店」を、その兄が昭和44年に死亡したことにより単独で経営するようになった。

相手方は、現在、上記「○○飯店」を経営してこれによる安定した営業所得を得ているほか、自ら設立した○○株式会社及び株式会社○○から給与所得(役員報酬)を得ており、これらの所得合計額は平成元年及び同2年のいずれも約1000万円であり、不動産として、東京都○○区内の繁華街に132.23平方メートルの宅地及び同土地上の鉄筋コンクリート造4階建の建物を所有し、他に同区内に126.46平方メートルの宅地及び同土地上の木造2階建の建物を所有し、所有家屋に居住している。

相手方の扶養親族は、上記妻及び2子である。

相手方は、現在、虚血性心疾患による心臓機能障害のほか糖尿病、慢性肝炎などの疾患を抱えているが、上記「○○飯店」の経営等による所得を得ることの妨げにはなっていない。

(7)  申立人の必要とする最低生活費は、別紙計算書記載のとおり、1か月約10万2668円であり、相手方の最新の基礎収入は、同計算書記載のとおり、1か月約57万8089円、相手方の扶養余力は、同計算書記載のとおり、1か月約31万4189円である。

以上の事実によれば、本件につき、我が国の裁判所に裁判権があり、かつ、当裁判所にその管轄があるものといえるところ、扶養義務の準拠法に関する法律2条1項本文により、本件の準拠法は日本法となる。そこで、我が民法に基づいて検討するに、申立人は、相手方の婚外子であり、現在41歳の独身男性であるが、その知能障害により社会的適応能力が十分であるとはいえず、高等学校卒業後の約10年間は継続的に稼働したものの、その後の約10数年間は祖母の世話、申立人本人の各種疾患及び転落事故による後遺症等により安定した職を得ることができないまま生活保護にたよる状況となり、将来直ちにその状況を改善することが困難な状態にあるところ、相手方は、現在65歳の男性であり、扶養親族として妻及び2子があり、虚血性心疾患による心臓機能障害等の疾患を抱えているものの、相当の資産を保有するうえ、安定した所得もあるから、申立人出生前後の経緯等本件にあらわれた諸般の事情を考慮しても、なお、相手方は申立人に対する扶養義務を免れることはできないといわざるを得ない。しかしながら、前記事実によれば、相手方の申立人に対する扶養義務は、いわゆる生活扶助義務にとどまり、その負担金額は、申立人の必要とする最低生活費にほぼ相当する金額を超えず、かつ、相手方の扶養余力の範囲内の金額になるというべきであるから、これを1か月金10万3000円と定めるのが相当である。また、申立人が本件調停申立てから現在まで生活保護法による各種扶助を受け、これにより生活費をまかなっていること、その受給時期が毎月5日とされていること及び申立人の金銭出納管理などの社会的適応能力が十分ではないことなどを勘案すると、相手方の申立人に対する扶養料の支払開始時期は本件審判日の属する月の翌月である平成4年4月とし(なお、これより前の扶養料のうち生活保護法による各種扶助によってまかなわれているものについては、同法77条による費用徴収等によって処理すべきものとなる。)、相手方の申立人に対する扶養料の毎月の支払時期は、毎月5日とするのが相当である。

したがって、相手方は申立人に対して平成4年4月から1か月10万3000円の割合による扶養料を毎月5日限り支払うべきである。

よって、主文のとおり審判する。

(家事審判官 橋本昇二)

(別紙) 計算書(単位は円)

1 申立人の必要とする最低生活費

(1) 平成3年分の生活扶助及び住宅扶助費(1級地-2)

<1>平成3年1月から3月まで 年齢40歳 平成2年度の基準による

生活扶助(1類+2類+冬季加算)+住宅扶助

(34,290+34,430+2,560)+22,000 = 93,280

<2>平成3年4月から6月まで 年齢40歳 平成3年度の基準による

生活扶助(1類+2類)+住宅扶助

(34,840+36,080)+22,000 = 92,920

<3>平成3年7月から10月まで 年齢41歳 平成3年度の基準による

生活扶助(1類+2類)+住宅扶助

(33,280+36,080)+22,000 = 91,360

<4>平成3年11月 年齢41歳 平成3年度の基準による

生活扶助(1類+2類+冬季加算)+住宅扶助

(33,280+36,080+2,630)+22,000 = 93,990

<5>平成3年12月 年齢41歳 平成3年度の基準による

生活扶助(1類+2類+冬季加算+期末扶助)+住宅扶助

(33,280+36,080+2,630+12,370)+22,000 = 106,360

<6>以上合計

<1>×3+<2>×3+<3>×4+<4>+<5> = 1,124,390

(2) 医療費

<1>国民健康保険法による保険料

(均等割+平等割)×0.4

(11,400+16,900)×0.4 = 11,320

<2>同一部負担金推定額

平成元年10月から同3年3月まで18月間の申立人の医療費

合計 481,560

年間推定医療費×負担割合3割

481,560×12/18×0.3 = 96,311

<3>以上合計

<1>+<2> = 107,631

(3) 以上合計

(1)+(2) = 1,232,021(年額)

月額 1,232,021/12 = 102,668

2 相手方の最新の基礎収入(平成2年)

(1) 所得

営業所得+給与所得

7,445,763+4,200,000 = 11,645,763

(2) 公租公課

社会保険料+所得税+住民税+固定資産税・都市計画税

420,000+1,223,800+877,800+402,500 = 2,924,100

(3) 職業費

(1)-(2)の1割とする。

(4) 医療費

912,425

(5) 基礎収入計算

(所得-公租公課)×0.9-医療費

(11,645,763-2,924,100)×0.9-912,425 = 6,937,071(年額)

月額 6,937,071/12 = 578,089

3 相手方の扶養余力

(1) 相手方の標準生計費

世帯人員3人の東京都の平成2年4月の標準生計費

263,900(月額)

(3) 相手方の扶養余力

2(5)-3(1) = 314,189

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